親の期待
4月2日(火)
【かわいいと 我が子に注ぐ バイタリティー】
この阪神地区は、文教地区が多いこともあり、お母様方の教育に対する関心度が非常に高いところです。
お母様方は常に様々な情報を得たいと、大きなアンテナをあげて、収集に余念がありません。
昨今、兄弟の数も少なくなり、低学年のうちは我が子を見つめる親の目は一心に子供へと向けられています。
子供に対する親の期待は、日を重ねるごとに大きく膨らみ、次から次へと新たな課題が浮かび上がってきます。
「同じクラスに、運動も出来るし、算数の計算も全く間違えない子がいるんです。」
「同じ年なのに、何がどう違うのかといつも考えてしまいます。」
お母様方の大好きな?比較が始まります。
習い事も数々あって、子供たちも大忙し。
遊べる日には限りがあるので、毎日過密スケジュールをこなしていくほかありません。
確かに幼いうちに、いろいろな事をさせてみて、何が向いているのかを探してあげたい・・と思う切なる親の願望があるのかもしれませんが、与えすぎには要注意
考えられる子に・・。
そう思っているはずなのに、物事を考えて判断していく時間を、結果的にうばってしまって力をつけれなくなっていることもあるように感じます。
我が子に本当の力をつけたければ、与えたものの中からだけでは育たないその場その場に応じての判断力をつける機会が必ず必要です。
大きなスパンで子供を見守る・・。
それが出来た時、親の予想をはるかに超えたたくましくなった我が子を感じることができると思います。
自分の子供だけに与えてつける力だけでは、総合力は育ちません。
多くの仲間と、周りの人たちの影響を受けながら、予期せぬアクシデントに対してもその場に応じた判断が出来る我が子の姿を思い描きながら、自由に過ごす時間を大切にしてあげて欲しいと思います。
社会にはいろいろな人がいます。
その中で生き抜く力と判断力は、幼い頃の経験が大きく左右しています。
周りに目を向けるゆとりがあることが、いかに大切であるかということを今一度真剣に考えてみたいものです。