表現する感性の育ち
1月5日(土)
【よく遊び いろんなことを 知ってるよ】
幼い子供に一番必要なことは何でしょうか?
子供たちとの関わりの中から、私が肌で感じて学んだことは、子供同士でどれだけ遊んだ経験があるかということです。
最近は公園で遊ぶ大勢の子どもたちを見かけることが本当に少なくなりました。
物騒なことも多いので仕方がないのかも知れませんが、子供同士でルールを決めたり、公園にあるものを探して工夫して遊ぶというような自分たち主導の経験があきらかに不足しています。
先日、近くの公園で小さな子どもとお母さんに出会いました。
私は、その公園で見た植物が何なのかがわからないから先生一度見て来て・・という、生徒からのリクエストがあって公園に出向いていました。
出会った子供はもう一人のお友達と一生懸命スコップでバケツに砂を入れています。
大きいスコップと小さいスコップがありましたが、その子はずっと小さなスコップで何度も何度もすくってはバケツに入れています。
ここで、お母さんの登場
「大きいのを使ったらすぐにいっぱいに出来るよ。」
そう言って大きなスコップを手渡しました。
しかし、お気に入りなのか小さなスコップをずっと離しません。
「こっちの方がたくさん一度に入れれるよ。」
お母さんはまた手渡していますが、やはりそのままです。
子供は遊びの中から多くのことを学んでいきます。
今、早く入る大きなスコップに魅力がないなら、このまま続けてよいのでは・・。
そんな思いでその様子を観ていました。
親の介入が非常に多く、親が良いと思ったものへ誘導しているケースが多くなっているために、子供たちが子供だけで遊ぶ機会も少ないですし、工夫する必要がある場面がありません。
今何をすればよいのかと思いを巡らせることができない・・。
大学でも、高校でも、中学でも、小学生でもこの壁にぶち当たっている気がします。
去年の10月から、教室に詩のポストを設置しています。
毎月多くの作品がポストを満たしてくれていますが、作品ひとつひとつを読んでいるとその子がどれぐらい子供同士で遊ぶ機会を持っていたかが浮かび上がってきます。
何気ない文章表現の端々に、その様子を垣間見ることができます。
あーこんな風にして遊んだんだなーと、思わず微笑んでしまう詩がたくさん出てきます。
自分で体験したことは、自分の言葉になっています。
あまり焦らず、成長過程を見守りながら、一緒に楽しく過ごしたいとは思いませんか?
青空を見上げる。
それだけの行動一つをとってみても、感じ方は様々です。
見つけさせてあげたいと思います。
感じさせてあげたいと思います。
それは、今後磨きをかけて育っていく上で、今大切にしなければならないことだと思えてなりません。